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ピアノ協奏曲第26番 (モーツァルト) : ウィキペディア日本語版
ピアノ協奏曲第26番 (モーツァルト)[ぴあのきょうそうきょくだい26ばん]

ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 KV 537ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの最後から2番目のピアノ協奏曲である。1788年2月24日に完成した。通称は『戴冠式』。
== 作曲と演奏の経緯 ==
この時期のモーツァルトはもはやウィーンの聴衆の好みに合うような曲を書かなくなっていたため、予約演奏会を開こうと試みても会員が1人しか集まらない状況であった。このニ長調の協奏曲は、このような逆境の中で書かれた曲の一つである。1787年初めには第1楽章が手がけられていたが、予約演奏会を開こうにも会員が集まらなかったため完成が遅れた。
演奏旅行中の1789年4月に妻へ宛てた書簡の中で、モーツァルトは同月14日ドレスデンザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト3世の后アマーリエの元でこの協奏曲を演奏したことに触れている。そして、1790年10月、フランクフルト・アム・マインで行われた神聖ローマ皇帝レオポルト2世戴冠式の祭典で10月15日22日に演奏され、ここから『戴冠式』の愛称が生まれた。この時、モーツァルトはピアノ協奏曲第19番(KV459)も演奏している。このことが分かるのは、1794年にオッフェンバッハのヨハン・アンドレがこれら協奏曲の初版を出版した際に、各表紙にレオポルト2世の戴冠式で演奏されたことを記していることからである(15日の演奏についてはモーツァルト自身の手紙などの記録が残っている)。モーツァルトはフランクフルト行きに際し、借金と質入までして演奏会の収入などによる経済状態の好転を狙ったが不首尾に終わった。
20世紀の音楽学者アラン・タイソンドーヴァー出版による自筆譜ファクシミリの序にて、「KV459も時に『戴冠式』協奏曲と呼ばれたことがあるが、このタイトルはほぼ常にKV537に冠されてきた」と述べている〔Alan Tyson, "Introduction," in ''Mozart: Piano Concerto No. 26 in D Major ("Coronation"), K. 537--The Autograph Score.'' (NY: The Pierpont Morgan Library in association with Dover Publications, 1991), pp. vii.〕。なお、この自筆譜は現在ニューヨークのモルガン・ライブラリーが所有している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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